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いいこと探検家の人生冒険ポジティブ日記

いいこと探検家の人生冒険ポジティブ日記

終章 私たちの課題



終章 私たちの課題




■地球環境問題から学ぼう



地球環境問題は、私たちの行動の結果ですので、その中に大きな
教訓を含んでいるはずです。

今後、同じような過ちを繰り返さないためにも、地球環境問題
から何かを学ぼうという姿勢が大切です。

ここで私なりに学んだことをいくつかあげてみたいと思います。




◆「自分ひとりくらい」から「自分ひとりから」へ



食物連鎖とか生物濃縮のことを考えると、たとえわずかな量でも
捨ててはならないことが分かります。

環境ホルモンなどは、生物濃縮されなくても問題になるのです。

みんなが捨てれば大変なことになる。


これは「自分ひとりくらい」という考えが集まれば、やがて大きな
問題となって返ってくると教えてくれているのです。


私たち人類は、

「アラル海のような巨大な湖でも消滅させるくらいのパワーを持つ
ようになった」

ということを自覚しなければなりません。


反対に言えば、

「自分ひとりでもできることをしよう」

とか

「自分ひとりから始めよう」

という考えが集まれば、あっという間に地球が美しくなると言える
のではないでしょうか。




◆命のつながりの大切さ



人と人とのつながり、人と自然とのつながり、自然同志のつながり、
これらすべてのつながり、つまり「命のつながり」が至るところで
切れてしまっています。

その結果、環境・いじめ・老人福祉・差別などの様々な問題が生じ
ているのではないでしょうか。


私たちは、一刻も早く、命のつながりを取り戻さなければなりま
せん。


そのためには、最も身近な命のつながりである「家族のきずな」
を強くすることが極めて重要です。


できるだけ家族が一堂に会する場を多くつくり、コミュニケー
ションを深めましょう。

「家族のきずな」からスタートした命のつながりは、地域社会
から国際社会へと連鎖し、やがて、すべてのつながりへと発展
していくことでしょう。




◆無害・安全の落とし穴



フロンなど、はじめは無害・安全とされていたものが、ある日を
境に有害物質に変わってしまうことがあります。

これは、

「無害・安全とされていた物質が、時間の経過や別の環境に
さらされるなどして有害物質に変化することが分かった」

「いままで分からなかった毒性や危険性が新たに確認された」

ということを意味します。


ここで重要なのは、

「今まで無害・安全とされてきた化学物質に対しては排出規制
がないので、すでに環境中に放出されている可能性が大きい」、

つまり

「有害物質と分かった段階では、手遅れになっているかもしれ
ない」

ということです。


このような物質は、すでにいくつか存在します。


たとえば、プラスチックゴミが大量に散乱している現況から、
微生物の働きにより自然に分解する「生分解性プラスチック」が
注目を集めています。

しかし、これが大量に環境中に排出されると、大きな問題が発生
するでしょう。

微生物によって分解される際に大量の酸素が消費され、湖沼や
内海が酸欠状態になることが考えられます。

また分解過程で生成する物質が、単独で、あるいは消毒用の塩素
などと反応して、新たな健康被害を引き起こすかもしれません。

さらに、プラスチックが完全に分解することで、環境ホルモンの
ような有害添加物のすべてが環境中に溶け出してしまうことに
なります。

プラスチックは「分解しないから問題なのではなく、捨てるから
問題になる」ということを忘れてはなりません。

私たちは、「生分解性プラスチック」を第2のフロンにしては
ならないのです。


生分解性ブラスチックは、きちんとした回収システムを確立した
場合にのみ環境に優しい素材と言えるのです。


また、よく「生分解性だから環境にやさしい」と言われますが、
生分解性が環境に優しいのは、「自然浄化作用(自浄作用・環境
容量)の範囲内に限られる」と言うことを知っておいてくださいね。




■便利さを見直す



「車があると、いつでも行きたいところに速く行けるから便利だ」

「車がないと、1時間も歩かなければならないので不便だ」


「お金があれば、好きなものが買えるので便利だ」

「お金がないと、贅沢ができないので不便だ」


「あそこのコンビニ(コンビニエンスストア)は24時間営業だ
 から便利だ」

「あそこのスーパーは8時までしか開いてないから不便だ」



このように、私たちは「あると便利」、「ないと不便」と感じる
ことがよくあります。

特に、元々なかったものを手に入れた場合、それがなくなると
不便と感じることが多いようです。


昔は車やコンビニが存在しないのが当たり前で、存在しないもの
には便利とか不便とかいう評価を下しようがありませんでした。


ところが、車を手に入れたり、近くにコンビニができたりして
一度便利さを味わうと、今度はその便利さが当たり前となり、
なくなると大変な不便を感じるようになります。

良い悪いではなく、この感覚が多くの現代人の特性かも知れ
ません。


テレビのコマーシャルはこの特性を実にうまく突いてきます。


消費者に「ないと不便」と思わせる映像を見せて欠乏欲求を
起こさせるのです。

つまり、コマーシャルの多くは、なくても困るわけでもなく、
生活になんら支障のない商品を、映像と言葉を使って

「今の自分はそれを持っていないので不便なのだと思いこま
せる」

ことを目的としているように感じます。


私たちは、「あると便利、ないと不便」という思い込みに
とらわれているのではないでしょうか。

阪神・淡路大震災の時は、たくさん所有している人ほど不便
を感じ、何も持たない人ほど身軽だったことは、被災者でなく
ても実感することではないでしょうか。


少し見方を変えるだけで、

「あると不便、ないと便利」

なものがたくさんあるはずです。


どのようなものがあるか、皆さんも考えてみてください。





◆便利とは?




ところで「便利」とは何でしょうか。


一般に、「便利」という言葉は「都合がよい」という意味で
使われますが、一体誰にとって「都合がよい」のでしょうか。


ほとんどの場合、

「自分にとって便利」

とか

「わが社にとって便利」

のように、自分の利益になる場合に使っているようです。


この場合、便利さを追求するということは、

「自分さえ良ければ他はどうなっても構わない」

という考えを助長することにつながります。


その結果、比較・競争社会が暴走し、至る所で見られるいじめ
の問題、自分や組織を守るための責任回避の行動、地球環境の
破壊などが深刻化しているのではないでしょうか。


永続的な(幸せを実感できる)社会を実現するためには、
私たちは

「自分にとって便利」

から

「地球にとって便利」、「生態系にとって便利」

という視点にシフトする必要があります。


いま私たちは、自己中心的な便利さの追求よりも、

「すべての生きとし生けるものにとって本当に大切なものは
何か?」

を考えることが求められているのではないでしょうか。





■自分らしい生活=環境にやさしい生活



私たちの生活の中で、

「となりがアップライト(縦型)ピアノを買ったから、うちは
グランドピアノを買おう」

「となりのご主人が部長に昇進したんだって。だったらあなたは
取締役になってね」

「親友の息子さんが京大に合格したのなら、うちの子には東大
を目指すようにハッパをかけよう」

等々。


こんな比較の中に生きることって辛くありませんか。

苦しくないですか。


もし、つらくも苦しくもないなら、いまのままの生活を続ける
のもいいでしょう。


でも、「しんどい」のなら少し立ち止まり、自分はどのような
生活を望んでいるのか考えてみてはいかがでしょうか。


興味深いことに、

「比較の世界にどっぷり浸かった生活ほど競争や消費を拡大し、
環境に大きな負荷をかける」

ことになるのです。

しかも「しんどい」というおまけ付きです。



一方、

「ピアノがなくてもうちには笑顔がいっぱいあるじゃないか」

「うちの主人は万年平社員だけど、早く帰ってきてくれるので
一家団らんがあるからいつもにぎやかだ」

「うちの子どもは、あまり成績は良くないけど遊びにかけては
天才だ」

等々。


こんな比較のない暮らしって楽しいと思いませんか。


そして嬉しいことに、

「このような生活ほど自分らしく生きることができて、しかも
無駄な消費がなくなり、環境に負担をかけない」

のです。


「比較・競争社会のなかで辛く、苦しく生きるよりも、楽しく、
自分らしく生きる方が環境にやさしい」。


私は、このことに氣づいたとき、

「なあんだそんなことか」

と氣が楽になりました。


これからしばらくの間、

「うちの家族にとって幸せとは何だろう?」

「楽しいことってなんだろう?」

「うちの家族らしさとはどんなことだろう?」

「家族ひとりひとりにとって、自分らしいとはどういうこと
だろう?」

などを家族で話し合ってみませんか。


一家団らんが復活し、家族の絆(つながり)が強くなるのは
間違いありません。

一家団らんが復活すると、部屋にひとりで閉じこもることが
少なくなります。

そして、いままで別々に使っていた照明、テレビ、エアコンが
ひとつの部屋で共用できることになり、自ずと省エネ・省資源
につながります。

またコミュニケーションが深まり、ひょっとするといじめの
問題も解決できるかも知れません。


一家団らんの復活こそが、地球にも人にもやさしい生活の原点
なのです。





■環境共育で知恵を引き出す



 「電気代がムダだからテレビを消しなさい」

 「地球環境を守るためにエアコンは使ってはいけません」



地球環境問題を知って驚いたお母さん(お父さん)は、子どもに
このように命令するかも知れません。

しかし、突然このように言われた子どもはどう思うでしょうか?


恐らくたいていの子どもは、いま風に言えば「むかつく」ことで
しょう。

これらの命令には怒りの感情が感じられ、相手には伝わりにくい
ものとなっています。


たぶん子どもに「イヤだ」と拒絶されるでしょう。

そして今度は親の方が「むかつく」ことになり、親子ゲンカに
発展することは必然です。


また、このような命令は「子どもの創造性を奪いかねない」という
深刻な問題があります。というのは、子どもに「命令を聞くか拒否
するか」という2つの選択肢しか与えないからです。


「テレビを消しなさい」

という命令は、テレビを消すか消さないか、

また

「エアコンを使ってはいけません」

というのは、

「エアコンを使うか使わないか二者択一の選択をせよ」

と親が迫っているように子どもは受け取る可能性があります。


二者択一の選択しか与えられない子どもに創造性が育つで
しょうか?


それよりも、親がテレビを見ているときに

「お母さんもテレビを見てるじゃないか」

と反撃されること必至です。


こんな時に「お母さんは、大人だからいいの」なんてことを
言おうものなら、それこそ親子の断絶です。


このようなときは、次のように子どもに思いを伝えるとどうで
しょうか。


「今日、地球環境問題の講演会に行って本当に驚いたの。

~講演の内容をかいつまんで説明する~

地球がこんなに破壊されているとは全然知らなかったの。
何にも知らなかった自分自身が情けなくって、これからは
地球にいいことを何かしようと思ったの。太郎ちゃんも何が
できるかお母さんと一緒に考えてくれる?」。


このように、素直に心の内をうち明けられると、こどもは

「多くの選択肢を残してくれている(信頼されている)」

と感じ、

「お母さんと一緒に考えよう」と思うでしょう。


そして、持ち前の想像(創造)力を発揮して、素晴らしいアイ
デアをどんどん出してくることは確実です。


その中に

「テレビを消す」

とか

「エアコンを使わない」

というアイデアも含まれているでしょう。


しかし、今度は自分で決めたことですから、きちんと守る
可能性は高いのは当然です。


そのうち

「テレビを見る時間を今の半分にする」

とか

「エアコンの温度を夏は30度にして上半身はTシャツだけ
にする、冬は15度にしてセーターを1枚重ね着する」

というような誰にでも実行できそうな具体案が必ず出てきます。


そして、いくつかの具体案を模造紙に書き出し、いつも見える
ところに張っておき、家族全員で実行するのです。


自分の意見が尊重されたと感じた太郎くんは、ますます豊かな
想像力に磨きが掛かることでしょう。


このように環境教育を、知識を教えるためではなく、子ども
(もちろん大人も)から知恵を引き出し、創造性を高めるため
に使いたいものです。


そしてやがて、共に育ち合う「共育」にまで進化(深化)するに
違いありません。





■グリーンコンシューマーになろう!



私たちができることで、最も平和的に、最も有効に社会を変える
方法があります。

それは、ひとりでも多くの人がグリーンコンシューマーになる
ことです。

グリーンコンシューマーは「緑の消費者」という意味ですが、私
なりに定義すると、次のようになります。


☆環境によくないものは、安くても、タダでも買わない、使わ
  ない、もらわない生活者。

☆環境に良いものは、高くても必要な分だけ買って、長く使い、
  捨てない生活者。

☆経済拡大(金銭的欲望)よりも命(環境)を大切にする人。

☆物質的豊かさよりも心の豊かさを望む人。

☆4Rを実践する人。

 4Rとは、Refuse(リフューズ:断る)、Reduce(リデュース:
減量する)、Reuse(リユース:再使用する)、Recycle(リサイ
クル:再生使用する)のことを言います。

特に、Refuse(リフューズ:断る)を実践することが大切です。

包装紙、牛乳パック、ペットボトルなどを購入時点で

「いりません」と断ることです。


これは出てきたゴミをどう処理するかではなく、

「ゴミが出ないようにするには発生源を絶たなければならない」

という発想なのです。


4Rという考え方は、最近ヨーロッパでは当たり前になってきま
した。

この地球上で、このようなグリーンコンシューマーが大勢を占める
ようになれば、地球環境はかつての美しさを取り戻すことができる
と確信しています。

ドイツやスウェーデンでは、多くの市民がグリーンコンシューマー
です。
市民の大半がグリーンコンシューマーならば、確実に社会が変わり、
政治が変わります。


日本にはグリーンコンシューマーは1%しかいないといわれて
います。

これでは社会も政治も変わりません。


ただ、日本で1%といのは120万人に相当します。

これだけいれば、心を合わせてパワーを結集させると、とてつ
もないことができると思います。

社会すら変えることができるでしょう。


日本には情報も少ないし、法規制もほとんどありません。

イタリアではすでに原発の全廃を完了し、スウェーデンなど全廃
を決定した国もあります。

西ヨーロッパの国々は、相次いで原発の建設計画を中止しました。

しかし日本では二酸化炭素を削減するという名目で、20基以上
を新設しようとしています。


なぜこれほどの違いがあるのでしょう?

法律の違いは政治家の違いです。

政治家の違いは、それを選ぶ市民の違いです。
つまり、この違いは、私たち自身にあるのです。


グリーンコンシューマーが増えれば、意識、価値観が変わり、社会
が変わります。

大切なことは、グリーンコンシューマーが増えることです。





■地球環境問題の主役は私たち



私たち、特に先進国(実は精神的には後進国)の人たちの生活が、
この地球をダメにしつつあります。

資源やエネルギーなどの過剰消費、二酸化炭素排出量の増大、
また水の汚染、食糧問題、人口問題など、地球の危機をもたらす
ものすべてに私たち個人個人が関わっているのです。

途上国の人口爆発が問題になっていますが、

「先進国の一人で途上国数十人分以上に相当する生活」

を続けていることに気づく必要があります。


やはり先進国の人間が、まず多量資源消費・大量生産・大量輸送・
大量消費・大量廃棄をやめる必要があります。


そして、「人間が最小限の消費で生活でき、しかも幸せを実感
できる社会を創っていく」必要があるのではないでしょうか。


地球環境問題は、小手先の対策だけでは

「モグラたたき」

になってしまいます。



さて、根本にある問題が何かということを突き詰めて考えると、
人間の生き方そのものに行き着きます。


やはり、ひとりひとりの「もっと便利に、もっと快適に」という
発想を見直す必要がありそうです。

そして、手遅れにならないよう、何かを始めなければなりません。


何かをするといっても、長く続けることが大切なので、無理なく
できることから始めることが必要です。


たとえば、

「なるべく車を利用せずにバスや電車を利用する」

「できるだけ徒歩や自転車で用事をすませる」

「できるだけ電気を節約する」

「本当に必要なものしか買わない」

など一人でも始められることが数多くあります。



私たちが変わらなければ、世界が変わるはずがありません。

また、知った人が知らない人に地球環境の実態を伝えることが
大切です。

そして、みんなで私たちに何ができるかを話し合いましょう。



地球環境を破壊している主役は確かに私たちですが、
地球環境を素晴らしいものにする主役も私たちなのです。





■エピローグ



私たち、特に先進国の人間は、自分の繁栄だけを考えてきた
ようです。

すべて人間の都合に合わせてきました。

私たちは、いまこそ地球上のすべての存在に敬意を払って、
すべてと共存するための意識改革を始めることが大切です。


それにしても、人間というのは不思議な生き物です。

この世の中にはムダな生き物など存在するはずがないのに、
益虫とか害虫とか自分の都合で決めてしまいます。

雑草という呼び方もそうです。


また微生物が有機物を分解する反応にしても、人間にとって
都合の良いものができると「発酵」、都合の悪いものができ
ると「腐敗」と言い分けています。


「ごちそうさま」と言った次の瞬間に、おいしい料理(ご馳走)
を「生ゴミ」という名前に変えてしまうことなど、見事と言う
ほかありません。


多くの人は、

「私たち個人個人は微力すぎて何もできない。だから政府が
何とかしないと・・・・」

とよく言います。


しかし、「自分ひとりだけでもやってみよう」という気持ちに
なって、何かできることを始めることが大切です。


たくさんの人間がそんな気持ちになれば、きっと地球環境問題
が解決できるでしょう。


そして未来の子どもたち、そしてすべての生命に「美しい地球」
を残すことができると思います。


私たちは、まず周囲のたくさんの生命を思いやることから始める
ことが必要ではないでしょうか。


私たちが本来持っている「思いやりの心」を育てるには、自然に
触れるのが一番だと思います。

山奥の森林や渓流の中で「自然の景色や音」と戯れるだけで、
心からの安らぎが得られ、「思いやりの心」が甦ってきます。

また、時には、突然の雷雨や暴風、逆巻く激流、猛獣の雄叫びに
震えながら自然に畏怖するのも、「思いやりの心」を体感する
ことになるでしょう。

年に何度かはこうした体験を持ちたいものです。


ところで、1年中大都市で生活している私たちが「思いやりの心」
を育む方法はないのでしょうか。


実は、毎日の生活の中で実行できる方法がたくさんあります。

たとえば、通勤・通学や買い物でいつも通る道に、どのような
草花や樹木が生きているかお気づきでしょうか。

恐らく、「えっ?、そんなのあったかなあ」とか「確かに草花
はあったけど、はっきり覚えていない」という方が多いのでは
ないでしょうか。


さっそく、今日からよく観察してみてください。

きっと、思った以上に多くの草花や樹木が育っていることに
驚かされるに違いありません。


また、どんなところでもたくましく育つ雑草を見て、

「雑草と決めつけてゴメンね。君たちは素晴らしい生命力を
持っているね」

と感動することもあるでしょう。


そして毎日観察していると、

「昨日は花が3つ咲いていたけど、今日は4つ咲いている」

ということが分かるようになり、次第に

「今日はいつもと比べて寂しそう、嬉しそう」

というように微妙な変化に気づくようになります。


そしてやがて、草花と会話ができるようになるかもしれません。

これは決して超能力ではなく、本当の「思いやりの心」を思い
出して大きく育てれば、誰でも顕在化する能力のひとつのよう
な気がします。



生命を思いやるということは、命に気づくということです。


生きとし生けるもののわずかな動きや、かすかなささやきに
気づくこと。

地球の声に耳を傾けること。


これが真のやさしさ、本当の思いやりというものです。


このシリーズを終えるに当たって、次の言葉をかみしめて
みてください。



・・・・我々は知っている

すべての生命は、ひとつの生命の織物であり、これを編んだ
のは我々ではなく、我々は1本の織り糸に過ぎないことを・・・・

生命の織物に対して行なったことは自分自身に降りかかって
くることを・・・・



これは、1854年にスカミッシュ族のシアトル酋長が、
アメリカ大統領への手紙に込めた思いです。


生命の織り糸がすべて集まって、ひとつの織物を形づくっている
ことを忘れてはなりません。

生きとし生けるもの、そしてこの地球に感謝を捧げましょう。


やがて人間の思いがひとつになり、そしてすべての命とつながり
一体となる。

その一体となった命を地球がしっかりと抱きしめる。

私は、こんなイメージを持ち続けたいと思っています。





これで

「何とかしよう!環境問題」

を終了します。




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